ノーブルサイエンス ジャパン
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ノーブルの話

ノーブルサイエンスという言葉は、エレノア・ハスペル・ポートナー博士の飼っていた聡明なノーブルというシャム猫がいなかったら出てこなかっただろうとエレノア自身が語っています。

エレノア・ハスペル・ポートナー博士からの記事:ノーブルの話
現在の私の仕事(心理学博士)と人生における猫との関係は、1966年に始まりました。
それまで私は自分と深い関わりを感じる猫と出会った事がありませんでした。
私の猫への探求は、誕生から12週目であるノーブルを観察する事から始まったのです。ノーブルは私の人生を変えました。

ノーブルが来た最初の夜、ノーブルが私の部屋にいる時、私は睡眠中にジャンプされるのを怖れていました。そのため、彼が寝付くまで様子を見て、ベッドから降ろそうと思ったのです。しかし彼は何度もベッドでジャンプし続けていました。最終的に私のメッセージを彼が理解してもらえる様、私はベッドに横たわりました。彼は私の足下でジャンプをして、そして私を見つめます。私はじっと動かないで横たわったまま待っていました。すると彼は私の顔に向かって飛びついて来たのです。
私は恐怖で凍り付きそうでした。彼は両前足が私の側頭部にきた状態で着地しました。私は彼を見つめ、彼は私を見つめていました。
その時、私は「分かったわ」と声を出して言ったのです。彼は私を怖れさせたり傷つけるつもりは無いのだとその時分かったのです。彼もそのことを分かって欲しかったのだと思います。

この瞬間にお互いの中に深い信頼関係が出来、22年間その関係は続きました。今でも時々彼が私の周囲にいるのではという感じがします。それくら彼は私との約束を尊重してくれたのです。

ノーブルは私の家族の中でとてもパワフルな存在でした。私のクライアントが痛みを感じている時、彼はしばしば私と一緒に働いているかの様でした。私のエネルギーをどうする必要があるのかを彼が動作で示してくれている事があったのです。
そしてノーブルと出会った人達はみんな猫好きになりました。

1987年、ノーブルが旅立って後、私達はシャム猫のブリーディングを始めました。
パシフィック・パリセード(カリフォルニア)で1990年1月18日7:32分にラズル、7:50分にジョーが誕生し、ここからパワフルな旅が始まったのです。
子猫出生の間、私が彼等のホロスコープが作れる様にストップウォッチで正確な時間を記録しました。

ラズルとジョーは1番目と2番目の子猫でした。この時6匹の子猫が生まれたのですが、ラズルとジョーは一卵性双生児のようで、他の4匹とは全く異なる様に見えました。

私は時折、頬のヒゲや毛並みの僅かな変化を見てラズルとジョーを見分けましたが、それもなかなか簡単ではありませんでした。
彼等は同じ癖、同じ声、同じパワフルでカリスマティックな個性がありました。しかしそのなかにあっても僅かに違いがあったのです。


1996年にヒューマンデザインチャートを見始めた時、私は7:32分から9:43分までの約2時間の間に6匹の子猫が生まれた事に関して違いを感じ始めたのです。当時のヒューマンデザインのリサーチ上では同じ哺乳類のデザインチャートを持っている事になるのですが、しかし、たった2時間でも皆違うのではないかと思ったのです。
私はそれらを区別するための情報不足があるのを知っていました。6匹の性格や特性を特定する為の計算。それぞれが異なった個性のある存在だと見つけるのは、ソーシャルサイエンティストとしての私の探求にとても重要でした。

ジョーが2000年4月14日に病気になった時、私の探求はさらに強調されました。彼は先天的心筋障害と診断されました。そして8月31日00:15に亡くなりました。 一方、ラズルは2007年12月31日12:50まで健康な生活を送り続けていました。

私は、2000年にヒューマンデザインで統計的にジョーの病気と死の原因となるマーカーを探すための分析をしていました。たくさんのリサーチの後、私達は現在のノーブルサイエンスのチャートに使用するいくつかの主要な計算とそれらの違いの鍵を見つける事が出来たのです。

追記:
エレノアはノーブルとの出会い、その後シャム猫のブリーディングを始めた事によって生まれた一卵性双生児のラズルとジョーがいた事で、マルチディメンショナル ヒューマンデザインの多次元層への研究が始まりました。
残念ながら、「ヒューマンデザインとの違い」にあるように、ヒューマンデザインの創設者と言っているラーは自分が気に入らないこのリサーチ結果を破棄してしまったのです。結果、マルチディメンショナル ヒューマンデザインはラーのヒューマンデザインとは違う道を歩む事になりました。そしてノーブルサイエンスが誕生しました。